多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

はきだめ

 もうすぐ仕事を辞めるのだが、聞かれそうなのが「これからどうするの?」ってことだろう。それに関しては私が知りたいくらいなのだが...。幸せに生きれるのなら、そうしたいさ。

 「将来心配じゃない?」ってことについて。将来って何だろうか。いや、生物である以上、死なない限りは生き続けるわけだが。まあ半年くらいは生きていたいなあとは思う。しかし想像できるのは精々そこまでだ。一年後なんて遥か未来、想像も出来ない。生きてるかとか、全く分からない。実際、一年で会社辞めるとか思いもしてなかったわけだし。

 明日は生きると思う。多分一週間後も生きてるかな...。とは思うけど。10年後生きてるとは全く思わない。半年と言ったけど、来月くらいには死んでそう。もうちょいは生きててもいいかな...。

 多くの人間は本気で自分の一年以上先のことなど想像できるのだろうか。一年後の自分なんて考えも状況も違っているだろう。想像に当てはまるわけがない。それがどうだ。若いうちから老後の心配とか、10年後の心配とか、本気で言っているのか。

 そういうビジネスが盛んなのは出来る人が多いからか。いや、マスコミや企業が不安を煽り、想像できないものを無理やり考えさせ、不安を植え付け、利益を得るためにそうさせられているのか。

 私には毎日、一日一日を生きるのに精いっぱいだし、その後のことなど想像も及ばない。だから会社も辞めたんだし。将来よりも明日生きたかったから。

 そもそも自分に興味がないから未来の自分にも興味がないのかも。

 就活とか会社でも、O年後どうなっていたいかとか聞かれるけど、何も想像できなかった。会社嫌いだったし。

 今の人間って、自分も含めてだけど、悲しいね。将来を人質にされて、今やらないと後悔するぞ、苦しむぞみたいに脅されて、吐きそうなほど勉強したり仕事させられたりしてる。そして将来と今を奪われたりもしている。今と未来の狭間で潰れるほど押さえつけられ、壊れてしまっている。

 あるかも分からない将来のために生きるより、何もかも失い、ただ今のために生きている現在、まだマシだなと思う。もちろんクソ人生だけど、労働よりは幾分マシ。

 でも労働から即外れた私は「こうなってはいけない」という奴隷達の対象なのかもしれない。対岸から見守っておくよ。見捨てられたけど。見捨てたのかもしれないけど。

 人生少しでも楽に生きるのは、「OOしなきゃいけない」を無くすこと。究極には、「別に生きなくてもいい」と開き直る。人生の裏技みたいなものだと思う。

 それを言ったら、明日死ぬかもしれないとか怯えて生きることがないというのはそれだけでラッキーかもね。

 明日死ぬかもしれないから人生に意味はない。タブーかもしれない。でも全人類平等なんだよ。それが救い。怯えから救済に。

 ああ、でも「死ぬことに怯える」のと「死なないことに怯える」の、どっちが大変なんだろう。

 明日死ぬのは怖い。将来苦労するのが怖い。長生きして貯蓄なくなるのが怖い。死なないことが怖い。将来なんて想像できない。将来なんてない。

 大変だね。