多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

「私」が私を見つめてました

 「ねほりんぱほりん コスプレイヤー」見た。他者からの称賛を求めるために、つながるために作品利用、とか穿った見方をしてたけど、本来キャラになりきること、だよね。

 しかし、他者からの承認など関係なく、自分が求める姿になる為にひたすら行うっていうのは凄い。

 自分という存在が不要で、他者になることで生きることが出来るって、どういう気分なんだろう。他者になりたい、キャラになりたいってあまり思ったことないなあ、、、。自分って何だろうということで悩み続けて、そんなもの答えは出るわけない、自分なんてなく、そうあるもの、はたまた選択するものである、くらいに捉えている。

 でも、こうじゃない、演じすぎて、作りすぎて、結局何なんだ。とも思う。

 この文章さえも、本当に私の考えていることなのかさえもよく分からない。

 まあ、結局「自分」を諦めていないから悩んだりよく分からなくなるわけで。

 自分を捨ててしまえばそう考えたり悩むことはなくなる。

 アザーズプレイってことか。もう少しうまい例え出ないかな、、、。

 他者からの承認は求めていないが、他者(プレイ対象)が必要なわけで、それに依存しているわけで。

 うーん、よく分からん。

 まあ、他者なんて分かるわけないんだけど。

 終わり。