多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

人間の雄と雌は演技により男と女となる

 ジェンダーって、つまりは洗脳

 

 男装とか女装をしてみたり、話題にしている人がいる。それを聞いて、それって、一体なんなのだろう、と思った。例えば、化粧をして、長い髪のカツラをかぶり、スカートを履いて、フリフリした服(?)を着ればそれは女装なのか。それは何故「女性の服装」であるのか?尚、男性の例はよく分からん。

 誰がその姿をすれば、女性ということになるのだろう。誰がそう決めたのだろう。

 しかし、スカートは女性が履くもの、という認識があるように思う。学生服なんかは最たる例だ。私の出身校はどこも男性はズボン、女性はスカートと決められていた。

 おかしくないだろうか?制服の是非はここでは置いておく。何故、制服が性別で異なるのだろうか。女性は冬でも足を覆えないスカートを履かなければならないし(下にジャージを履いたりすれば田舎のヤンキーとか言われるし)、男性は暑くても長ズボンを履かなくてはならない。機能的な面で見ても不便でしかない。さらに、主に女性への盗撮被害や痴漢被害を考えると、スカートを履くのはそのリスクが高まる、というマイナス面が考えられる。スカートを履きたくない、という女性もいるだろう。逆もまた然り。

 私には制服を男女で分けることはデメリットが多いように思う。なのに、今まで制服を統合しろ、という意見を聞いたことがない。これは疑問だ。男性の私には、女性がスカートを履かされるのは苦痛であろうと思っているのだが、当の女性はそうでないのだろうか。

 ここまで服装を例にしたが、男装だったり女装だったり、他には男は外で働き女は家を守るだったり、男らしさとか女らしさとか、そういった言葉は全部、お前は男性/女性であるという意識を植え付けさせる、洗脳であると考える。

 そもそも、人間の雄と雌には身体の差以外に違いはないはずだ。生まれた状態がそうだし(見た目で異なるのは性器のみのはず)、成長してからも顔付きや身体付きは異なるが、それ以外、何も異ならないはずだ。

 思考や志向や嗜好の差はあるのかもしれない。しかし、それはそうなるように植え付けられたものであろう。

 現代日本では、生まれたときから、男には「男」として育て、嗜好を植え付け、女には「女」として育て、嗜好を植え付けている。そう、日本人が思う性とは、そう仕向けられ、洗脳されたものだ。男性、女性は違うものだと教えられ、そう演じさせられる。雄は男の行動、服装、等をすることにより男になる。女性も同様。

 性で悩むというのは、洗脳がなされていなくて、洗脳された周りに着いていけない、考えが合わない、または洗脳と身体が食い違う、というのが理由の一部だろう。

 不思議だ。男性/女性であるということで、行動が制限され、それを飛び越える際にはわざわざ男装、女装だったり、女子力だとかイクメンだとか「違う行動である」という表示がなされる。何故男性/女性なら「当然」であることを違う性で行うと「異質、特別」なことになるのだろう。そして、それをそう受け止めて批判したり、特異な視線で見たりするのだろう。

 6年前くらいか。曖昧な記憶で残念なのだが、大阪大学のパンフレットか広報誌かなんかに誰か教授がこんなことを書いていた。

「ここ数年はスカートを履いている男子学生がいなくて残念ですねえ。毎年、何人かはいたものなのに。」

 これを読んで、何かモヤモヤしていたものがハッキリ見えた。やっぱり、これは「疑問」としてもっていいものなんだ。当然じゃなかったんだ、と。

 それ以来、永遠に疑問である。性を演じさせられている、演じさせていることは何故当然の事なのかと。

 別に、男性がスカートを履けだとか(男性諸君はスカートを履くことを「女装」等と明記する必要があるのか、考えてみないか?)、制服のスカートを廃止しろだとかそんな細かいことだけが言いたいわけではない。つまりは、権利の問題だ。自由の問題だ。平等の問題かもしれない。性の違いによる男性/女性の違いは何故あるものなのか。分ける必要はどこにあるのか。性の当たり前があるのは演技をするためにありがたいことではない。有難いことだ。