多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

女子力、死ね。

 女子力、という言葉が大嫌いなので、その理由と気持ち悪さについて考えていこうと思う。尚、筆者は男である。

 まず、その定義について確認しよう。Wikipedeiaから引用させて頂く。

引用始め

女子力(じょしりょく 英語women's power)は、輝いた生き方をしている女子(一部の男子)が持つ力であり、自らの生き方や自らの綺麗さやセンスの良さを目立たせて自身の存在を示す力男性または女性からチヤホヤされる力

引用終わり

 

 ーーー何を言っているのか?私には分からない。色々なサイトを見てみても、モテる能力、女性として好かれる姿、「女性らしさ」などという言葉で語られている。

 そこで、一つの疑問が生まれる。

 結局、何なの?

 

 不可解さを整理していこう。

 まず、「女性らしさ」という言葉について。女性、男性というのは社会的に作り上げられたもので、その定義というか、何をもってそうとするのかは私には非常に難しいし、言い切れない。(生物的なセックスのことを言っているのではない。人間の社会における、男性、女性のことである。)LGBT等の人々の存在により、異性が好きであることがその性である、という定義はなさないであろう。

 結局、男性、女性というのは、その社会で、または生まれ育った環境で刷り込まれた概念である。場所が変わればそれは勿論変わる。なので「らしさ」というのは生まれ育った環境によって変わる。というか、人それぞれだ。

 十人十色である考え方を、「らしさ」という言葉一つでまとめ上げる。定義が全く違うものを、同じように見せてしまう。自分の考えに当てはまらない他人を「らしくない」といって否定してしまう。これは言葉の暴力でないか。

 特に、男性が「女性らしさ」という言葉を使う時、それは「自分にとって都合のいい女性像、自分に魅力的な姿」等を押し付けている。自分にとって都合のいい女であれ、と言っているのだろう。男性は女性を支配するもの、という考えが残っている証拠ではないか?上から評価してやる、という目線かもしれない。

 同じような意味で女子力が使われる場合、危うい状況であることが分かるだろう。自分に都合のいいように女性を使い、そうでないと「女性であること」を否定してしまう。どちらにも無自覚であっても、そこには主従の関係が隠れているのだ。

 

 次の引っかかりに移ろう。女子力が男性に好かれる魅力、という意味で使われる記述も多かった。それでいいの??

 上のように、男性にとって都合のいい使われ方もしている。そして、女子として魅力ある姿が男性にモテること、というのはいかがなものか。性をモテで評価する考えに違和感を覚えるので、素直にモテる能力とでもいいのでないか。そう言う人は皆、恋愛至上主義なのだろうか。

 

 次に。男性に対してまで女子力が使われる理由は何だろうか。家事が出来たり、オシャレだったり、メイクをする男性等に使われるようであるが、何故それを女子力というのか。男性はそれらは本来出来ないもの、なのに出来るということでここでは逆に女性から評価されている気がする。つまり、さっきとは全く逆の主従関係が生まれることであろう。男性に「女性らしい」ということはこれも性の否定であり、暴力ではないか。

 

 結局、定義の曖昧でよく分からない言葉で他人を縛り、人々を生きにくくしているのでないか、というが私の思う結論だ。自分の定義を人に押し付けてはいけない。自分の思う性を追求し磨くのは自由だが、人に合わせたり、人を評価してはいけない。

 この言葉の発祥は分からないが、恐らくテレビあたりのメディアが、ファッションや美容関連の消費を促進するために作った言葉だろう。もしくは偉いオッサンが自分の好みの女性像を普及させるためか。

 メディアによって振り回され、性を否定されるなんてことは御免だ。万一、男性力なんて言葉が生まれたら、そのプロデューサーをぶん殴ってやろうと思う。お前らの作り上げる像に沿って生きてなんてやるか。

 

 最後に。

 成人になって、子はねえよ。男性、女性って言え。