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多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

怒れる民の手中に世界を

 最近、怒っている人が増えているように思う。

 インターネットでは、少しでも気に入らないことがあれば(なくても)、見ず知らずの人に突っかかり、否定コメントをしてり、誹謗中傷を行ったりする。街中で出会った不快なことがあれば、すぐにそれもインターネットに書き込み、こんな酷いことがあった、ふざけんな、といった風に載せる。関係は少ないかもしれないが、ニコニコ動画のコメントも酷いのが増えたなあ。すぐに「つまらん」とか投稿者を攻撃するようなコメントの数々。だったら見んなよ。

 インターネットが普及したことにより、相手の不可視化、自己の匿名性が進んだ。どうせ、自分も相手も分からないんだし、何をいってもいいだろう、という思考になってしまっているのだろうか。

 本題はそこではなく、なんでこんなすぐに不平や怒りを感じる、ぶつけるようになってしまったのか、ということを考えていきたい。

 怒りを感じる原因は単純化すれば、思い通りにならないからだ。自分の思うように事が進まないと、人が動いてくれないと、自分の思考と現実が不一致することで、怒の感情が生まれる。

 そうすると、怒っている人が増えている、というのは思い通りにならないことが増えているから、と言えるのではないか。これはどういうことなのだろう。

 もともと、人間、というか世界なんて思い通りにならないものだ。自分で如意に出来ることなど、自分の手の届く僅かなこと、ちっぽけなものである。それが普通で、自分の範囲以外がどうなろうと、あまり気にしない、感情を生まない様に制御しているのだろう。

 現代になり、インターネットという莫大な世界が生まれる。そんなものは途方もない世界なのだから、思い通りにいかないのが普通、インターネットの世界には数多の人々がおり、過干渉せず、自由に行動し合う、というものだった。

 しかし、それが自分の手に届く範囲のものと勘違いしてしまう人が現れる。文字通り手に入ってしまった、と思ったからだろうか。そこで活動する数多の人が自分の思考から外れて行動、意見していることが、自分の思い通りではないと考えてしまう。そこで、それらを如意を操るために、統制するために何でも言いたい放題になってしまう。見ず知らずの人でも、自分の手の範囲だと思い込んで。ここが自分の世界なんだから、何を言ってもいい、全員自分の思うとおりにしろ、と押し付ける。

 その、自分が支配者だという感覚が現実世界へと拡張し、思い通りにならないことは何でも自分の世界であるインターネットに言いつける。そこで、何人かの従属者(フォロワー)から同意を得、支配者としての喜びを噛み締める。

 このような感じだろうか。他人は他人、世界は世界、思い通りにならないため、干渉せず、気にしないことが生きやすくなる方法だろう。それをせず、他人に干渉し攻撃し、そうでない人、平穏に生きたい人を荒らし、傷つける、それによって、自らの心の平穏を手に入れる。

 酷い話だ。自分の思い通りのテリトリーは狭く持ち、そこで幸せに生き、他人の幸せも祝えるようになりたい。