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多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

ポケモンも人生もクソゲー

 ポケモンは最高のゲームです。だがしかし。

 

 ポケモンのレート戦で酷い負け方をしました。ほぼ勝ち確定の状態からスカーフドリュウズの角ドリルが2連続で当たり、残りの1体では相手の残り1体を倒すことが出来ず、負けました。

 かなりキレました。

 選出も完全に有利で、試合運びも丁寧にし、ドリュウズが出てきて「勝ったな」と思った瞬間からの大敗北です。悔しい。というか、ありえない、ふざけんな、という不条理に対する怒りが湧いてきました。前に、強い怒りは鬱に対して効果的とか書きましたが、まあその通りなんですが、体に普通によくないです。怒りはしんどい。当然ながら、楽しくない。

 その時思ったんです。結局運かよ。クソが。、、、ん?なんか人生みたいだな、と。

 

 人生も、どれだけ頑張っても、どれだけ手を尽くしても、不意の事で全てが終わる、なくなる、下手したら死んでしまうこともある。そう思うと人生も、人生こそ最大のクソゲーだな、と。勿論、とんでもないいいことが棚からぼたもちの様に起こるかもしれない。しかし、不幸や死の可能性のほうが高いのではないか。

 というよりも、ポケモンをやってて思ったのが、運勝ちよりも運負けの方が感情が大きく揺さぶられること。運勝ちだと「お、ラッキー」「やった!でも、相手にちょっと悪いな」くらい、感情はそこまで動かない。しかし、運負けだと「ふざけんな!!」「おい、相手!本当なら俺だ勝ってたやろ!いい気になんな!」等、かなりキレて、感情を振り回されまくります。単に僕がキレやすいのかもしれませんが、このことから鑑みるに、運勝ち、運で自分のモノではないものが手に入ったこと、にはそんなに執着がないからか、喜びもそこまで大きくはなく申し訳なささえ感じてしまう。だが、運負け、運で自分のモノを奪われてしまったり失ってしまうこと、には執着が強い。その執着の分、不条理を感じ、感情が高ぶり、憤りを感じる。

 つまり、予想外の幸はあくまで自分で手に入れたものではないため、幸と感じづらいが、予想外の不幸は自分の努力を嘲笑うかのように訪れるので、ショックが大きなものになる。

 生きている以上、想定外の不幸は避けられない。そう割り切らなないと、それに振り回され続けることになる。それを避けるには、感情と執着の分散、そしてある程度の諦めを持つことだろう。喜びは凝縮し、悲しみは分散する、それが人生を楽しむコツだ。今度また書くが、楽しみが爆発しそうな瞬間は瞬きも出来ない、楽しさしか考えられなくなり、人生が最高で埋め尽くされる。それを楽しみ、苦しみは逆に支配されないように、客観視し、別の事を楽しめるようにしたい。

 と言っても、注意していようが、全てを失う災害や死はどうしようもなく訪れる。影の様に一生付きまとう。

 ああ、やはり人生は人類史上最大のクソゲーであろう。