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多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

死は共に永遠に

 先日、成人の日がありました。二十数年、良く生きてこれたなあ、と毎年驚いている。ふとしたことで、ふとした時に死ぬことなく、生き永らえてきた。

 人って、簡単に死にそうな生き物だなあ、とよく思う。すぐ横を走っている車に当たったら。階段で足を滑らせて転げ落ちたら。頭をどこかにぶつけたら。乗っている電車、車が事故を起こしたら。

 日常が1ミリずれるだけで。ほんの一瞬の気のゆるみで人は死ぬ。簡単に、無残に、それまでをあざ笑うかのように。人は死んでいく。何も新聞やテレビでのことでもなく。すぐ隣にあることだ。

 なのに、俺は何故か今日も生きている。何故か、って言っても、死ななかったから、だけなんだけれども。単に運が良かっただけだろう。特別な意味も理由もあるまい。

 逆に、ちょっとツイてなかっただけで、どれだけ生きたくても死んでいく人はいる。生物である以上、それはどうしようもないことだ。まあ、人生全てが運と偶然の賜物だ。

だから、何故か神の気まぐれか思し召しか知らないが、二十数年、生きている。今日だけでも自分に言っておこう。おめでとう。生きていることが是であるかは置いておく。よく生きてたな。

 

 と、こう書いておいてだが、俺は死ぬことが全く怖くない。生きていることに喜びを感じないことはないが、うっすらと絶望という名の靄がかかり、晴れない人生を送るだろうことは容易に予測できる。まあ、それが俺なので仕方がない。薄い、明るい、気味の悪い絶望を纏ったまま、楽しく生きてやろう。

 というか、これまで人生がとても楽しかったので、満足しきっている、というのが上の理由だろうか。これまでも暗い層に覆われた20年だったが、なんやかんやで楽しかった。20年で満足し、特に望むことはないのかもしれない。ああ、いい人生だった。しかし、ここで終わらしてはくれないが。延長戦は終わらない。どんな結果になろうとも。

 

 明日、死ぬと言われるよりも、明日が永遠に続く、と言われた方が死ねる。嗚呼、なんて絶望。