多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

思いよ幾多になれ

 先日、ポッOーの日という日(?)があった。本来、こういう日は大嫌いだ。会社の戦略に乗っかってしまい、無自覚に購入する、考えない馬鹿どもめ、と本気で思っている。企業戦略やメディアにただ振り回される無知な民ども、とまで思っている。

 しかし、前読んだ本にはこのようなことが書いてあった。

「世間で行われるベタなイベント等に対して冷めた目で見て批判する。そうやって俯瞰で生きて、ツッコミを入れて。それで楽しいのか?そうやって、遠くから見るばかりで何もせずに人生過ごすのか?」

と。グサッと来たね。インターネットを徘徊し、リアルの人々を気持ち悪いくらいの言葉と団結感で批判し、優越に浸る奴ら。そういう奴らも嫌いだからだ。

 自分を俯瞰せず、完全に俺はネットの住民だ、と言ってしまえばそんな気持ち悪さもなくなるのだろうが、そうはいかない。リアルへの憧れが多分に残っている。

 しかし、無邪気に騒ぐことも出来ない。騒ぐ相手もいない。

 また、別の本にはこう書いてあった。

 「思いなんて、一つじゃなくていい。価値観なんて、自分が生きやすいように使い分ければいいんだ。悩むことなんて何もない。一つにこだわる必要なんて、ない。」

 と。そうだ。社会なんてクソで。社会で楽しくいきたくて。振り回される連中なんてクソで。馬鹿みたいに騒ぎたくて。一人でいたくて。誰かといたくて。死にたくて。生きたくて。

 思いは一つじゃなくていい。生きやすいように選んで使ってやれ。