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多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

自分に自信を持つ方法

 人生において、何をしたら上手くいきそうか、一つの答えが見つかった。

 自分に自信を持ち、堂々とすること、これである。

 

 自分に自信がつくと、何をしていても自分は大丈夫だ、と思え卑屈にならずに済み、その堂々とした自信が顔にも表れ、いい感じに見えるはずだ。面接でも、堂々として話す、それだけで上手くいくんじゃないか?と思うくらいに。

 そして、自分を肯定できると他人のことが気にならなくなる。他人が何をしていようと何を言って来ようと、自分は自分、と成すことに集中できるし、他人に余計なことを言わずに済むようになる。そして、自分は自分、他人は他人、と皆を尊重できると、人付き合いも格段に上手くいくと思う。自分も他人も肯定すると上手い距離感を保て、過干渉することなく、適度な付き合いができるだろう。

 自分に自信を持つ。そのためにどうすればいいか。続きはまたにしよう。ああ、なんか人生上手くいきそうで楽しみだ。

ブログの独自性とは

 この、私が書いているブログに果たして独自性はあるのか、と思ってしまった。

 私が思うことは大抵、何かの文章を読んだり、話を聞いたり、体験してそこから考えを膨らませたことである。しかし、前2つはそもそも、誰かが先に考えたこと、感じたことが元であり、私の考えはあくまで付属、誰かの意見の付け足しにすぎず、私独自のものではないのではないか、と考える。

 今までに何億人、という人が生きていて、今も日本に1億人以上の人が生きており、みな様々なことを考え、発信している。勿論、私と似た考えで、さらに発展した内容の人もいるだろう。

 そうした場合、私だけの考えというものは存在しないのではないか。誰かがすでに考えたことを読んでなぞっているだけ、しかも何段階も遅れている状態かもしれない。

 そうすると、このブログの内容も既に誰かが書いたことであり、このブログに意味なんてないのかもしれない。

 そんなことを思ったが、そもそも私だけの考え、そんなものはないだろう。私の考えがあるだけだ。被っていようが、遅れていようが、まあ、どうでもいいのではないだろうか。そもそも好きに書いているだけのこのブログに意味なんて特にない。 

 ダラダラと私のことを書いていくだけだ。それでいい。

卒論の書き方は分からない

 卒論、、、難しい!

 

 今日、私が属する大学のコースの卒業論文発表があった。

 いやあ、とにかく面白かった。多様なテーマ、鋭い視点、広い視野、豊富な情報収集。同じ年の入学生とは思えない。やっぱり、曲がりにも某国立大学。研究は高度で非常に勉強になる、素晴らしい内容のものばかりだった。

 さて、来年は私が書くのだ。、、、どうしたものか。

 何度も卒論検討会を行い、テーマ、方法発表は行っている。しかし、いいものは全く生まれない。私の勉強、考察不足と言えばそれまで、いや、その通りなのだが、難易度が高い。

 やりたい、面白いことをテーマにしろ、とは何度も言われる。実際、鉄道やツイッターなどの興味あるものの発表を行っている。だが、上手く形にならない。

 あと、私の好きなもの、、、。ポケモン、アニメ、ラブライブ、、、。聖地巡礼や現代オタク像などは是非ともやってみたいと思うが、上手く発表できるかどうか。

 いやあ、何しよう!!

 これが好きとか、これが知りたい、っていうのは多数あるが、研究にするには躊躇する、というより論文になるのか、研究方法を考えにくい、、、とか色々拒む点がある。

 毎日少しづつ考えていこうと思う。

牛丼の安さの衝撃とカラクリ

 安い・うまい・速いは伊達じゃなかった

 

 今日、初めて松屋に行ってきた。松屋とは、言うまでもないと思うが、牛丼チェーンのことである。牛めし並、なんと味噌汁がついて290円。衝撃の値段だった。外食は高くつく、と思っていたが、その観念をふっとばされた。

 食券を買い、席に着く。すぐにお茶が置かれる。おお、あったかい。そして間もなく牛めしが到着。結構な量があるし、きちんと肉も入っている。これが290円!?本当にびっくりした。

 そして、ご飯と一緒に肉を一口。まあまあ美味しい。お腹も減っていたので、パクパクと食べ進め、汁も飲み干して完食。並で十分の量があった。いやあ、すっごく得した気分。上機嫌で店を後にする。

 なんて安さだ。そして無駄のないシステム。食事というものを極限まで便利化した姿がそこにはあった。一言も発さなくとも、飯が置かれ、ただ食べる。機械化された、というと少し恐ろしい気分になるが、非常にシステマティックな食事であった。

 なぜ、この値段でこのクオリティーの食事、サービスを提供できるのか。人件費の削減、素材の安さのカラクリ、など様々なものだあるのだろう。食品チェーンのブラック企業さや、食品を巡る事件などは後を絶たない。安さ、便利さを求めすぎると何か、どこかに支障が出、無理をしている人が現れるのだろう。

 便利は求めすぎてはいけない、と常日頃から思っていることだ。もっと、大らかな社会であってほしい。

 牛丼、素晴らしい食事であった。たまに、食べるとしよう。

ネガティブは治らない

 前の記事に「ネガティブの向こう側へ」というタイトルをつけた。

 ネガティブになりそうな時、どうすれば陥らずにすむかを自分の経験を省みて書いたものだ。

 それが積み重なっていくと、果たしてネガティブは治るのか。否、答えは治らないだろう。あくまで緊急回避、小手先のコントロール、というだけで性格の根本的な部分はあまり変わらないだろう。

 しかし、それでいいと思う。ネガティブは上手いことコントロールして、深みに嵌らずに済んだり、死にたい、とか思わないようになる、それくらいでいい。

 ネガティブに生まれてしまったものは仕方がない。ネガティブなまま、楽しく、まあまあ明るく生きれるようになれればいい。無理に直したりしなくてもいいだろう。

 明るいネガティブを目指そう。

 それがネガティブの向こう側、なのかもしれない。

ネガティブの向こう側へ

 ネガティブよ、さらば。

 

 このブログで散々、厄介なこと、上手くいかないこと、どうしようもなくつらいこと、について書いてきたが、その傾向が何となく掴めてきたのでまとめておこうと思う。ネガティブに陥りそうなとき、この内容を思い出して除霊しよう。

 

 1、ネガティブはいつか終わる。渦中にいるときは本当に辛く、どうしようもなく、あらゆることに思いを巡らし、あらゆる将来の心配、過去の追憶をし、頭が爆発しそうになる。しかし、それは一過性のものだ。明日になれば、明後日になれば、そのうち必ず終わる。だからネガティブが終わった時を心待ちにし、その時は振り回されよう。抗わない。流されて時を待つのだ。

 ゲームしたり、アニメ見たり、それとなく思考を向けられるものに没頭しよう。そして頭を疲れさせ、寝られるようになろう。

 

 2、ネガティブの根源は「自分らしく生きたい」という叫び。辛い時は「死にたい。消えてしまいたい」とばっかり思うけど、結局、それは自分の思うように生きたい、という思いと現実の違いのギャップが生み出した葛藤。理想と自分の乖離による、どうして自分はすできないんだ、という責めの意識によるもの。

 だから、理想なんて捨ててしまおう。地に足付けて、どうしようもない自分を認めてやれば、楽に生きれるはず。まあ、承認欲求がみんなあるんだろう。自分を認めてくれる、信じられる誰かがいれば、すこしは、またはかなり、悩まずに生きられるはず。

 

 3、好きなものを作ろう。自分が好きで好きで仕方ないもの、人があれば、何があろうと死なないし、僅かな楽しみを持って生きれる。それがあるだけで、いてくれるだけで幸せ、というものを常に思い出して生きよう。

 

 ネガティブで死にたいって思いって、自己愛故に生まれ、自己愛故に死ぬことはない、屈折した思いで、それで日々苦しんでいる。結局、自分が大切なんだ。

 ああ、それが分かってよかった。22年生きた甲斐があった、ってもんだ。

 

サイレントマジョリティーの衝撃

 衝撃だった。MVでここまでの衝撃を受けたのは初めてだ。

 欅坂46のデビューシングル、「サイレントマジョリティー」

 音楽や映像は畑違いなので、あまり批評は出来ないので、純粋な感想を。

 すごい。とんでもない。15歳の少女に度肝を抜かれて、まるで見ているこっちが導かれる存在になったかのようだった。そして、磔にされた身体に歌詞が突き刺さる。君らしく生きろ。解放されよ。

 少女の眼差しに虜にされ、従事者となり、新たな命が吹き込まれるーーなんてすごい物語だ。ーー強い。

 社会の奴隷となった大人たち、そうはならない様に願う少女たち、への救済の詩。

 大人に支配される存在であるアイドルへの、プロデューサーからの祈りーーそれがアイドルを通じて大人に届く。

 最高の作品だった。欅坂46。もっと調べてみよう。