読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

楽しく生きたいのに、なんで出来ないんだ

 えー、このブログ、読み返してみると、しんどうことばっかり書いてあるなあ。

 結構楽しいんですけどね。毎日。将来とか自分のことさえ考えなければ。又吉先生がこんな感じのことを言っていた。

 「俺だって楽しく生きたいのに、性格が暗いなんて、本当に欠陥だ」

本当にそう思う。楽しいこと、幸せなことだけ考えて生きていたんだ!

 ブログも、楽しいことを書いていきたいです。主にポケモンラブライブ、他アニメ等。ラブライブは本当にこの2年くらいを彩り、楽しいものにしてくれたとても大切なものですね。

 その楽しい!をいつか伝えれたらと。

 ブログ、もう少し更新したい。超3日坊主なのでキツイですけど。

 全く続かないんだよなあ、、、。

人と会う虚無

 前の記事に関連すること、飲み会が苦手な理由について書いていこう。飲み会が苦手というか、ほとんど関係がない人と話さなくてはならないのが嫌い、ということだ。

 前の記事での説明会の食事会でも、その会社を受けなければ二度と会わないであろう人達と約3時間、話してきた。まあ面白かったんだが、それが、何だ?って思う。もう二度と話さない人の話を聞いて、何の意味があったんだ?何になったんだ?とつくづく思う。互いに距離を探り合って、繕い、一歩引いた場所から表面上の話をする。

 いやあ、何だったんだろうなあ、と思って。

 まあ、意味なんて何にも無いんだけどね。意味がないというより、ただ無駄だったんじゃないか、と振り返って思う。

 一期一会と言ったらいい意味になるんだが、そうではなく、ただ行きづりの相手。そんな相手と話すって本当に時間の無駄だったんじゃないかと。

 言い換えるなら、贅沢な虚無。時間と金を使い、ただ無を味わう。消費する。そんなことするならゲームすればよかったんじゃないか、と。

 色んな人と会うことがいいこと、とかいう人もいるけど、仲良くなりたい、とか教えを乞いたい、と思える人に会えるのってどのくらいなのだろう。それ以外はただ虚無でしかない。是非時間と金と体力は上のような人のためにとっておきたい。

 人と会うのって、色々消費するんだよ。果たしてリターンは釣り合ってるのか。

飲み会が嫌いな理由

 とある企業の就職説明会に行き、その後の食事会に参加してきた。そのことについて書いていこうと思う。初対面の人と話す、ということ自体かなり久しぶりだったので、なかなか苦労した。

 説明会に関しては省略。主に食事会について。参加人数は社員が5人、学生が12人だった。俺のいたテーブルは学生4人、社員1人で、基本的に移動はしない、そのメンツで3時間近く話し続けた。食事会、と言っても、就活というよりもただの飲み会に近かった。社員さんもそういう場として提供していたように思うし。話したいことをただ話し、飯を食うだけの場。幸運にも、みんな話しやすい人ばかりで、なかなか賑やかに、楽しい場だった。アイドルの話や、アニメの話もあったりして、ただただ気さくに、気負うことなくワイワイと話せた。

 実際、その場にいる時はとても楽しかったし、テンションも異様な高さで、終始ニコニコしてたと思う。しかし。

 終わってから異常に疲れた。駅までの道を迷い、めちゃめちゃ遠く感じたし、家に着くと、どっと疲れがやってきて、でも中々寝れなくて、翌日の15時くらいまで何も出来なかった。

 原因は分かっている。食事会でした会話の内容、相手の反応など、事細かに覚えてしまっているからだ。帰りの電車の中でも、夜に布団の中でも、そして今でも、自分が何を話して、何を言われて、どう感じたであろうか、かなり思い出せる。そして、あんなこと言わなければよかった、ああ返すべきだった、等、今更どうしようもないことを堂々巡りで考えて悩んで苦しんでしまっている。

 なんてしんどい頭なんだ!

 みんなこういうことを考えているのだろうか。アルコールを摂取することで覚えていないのだろうか。俺だって、そんな終わったこと、覚えて思い出したくもない。でも、酒が飲めないんだ!

 過去の本当にどうでもいいことに思考も体も囚われてしまっているなんて、本当にくだらな過ぎる。でも、もうこんな脳がついている以上、苦悩と絶望に苛まれて生きてやる。未来の俺、今の俺をいちいち思い出して、ああ、笑って生きてくれ。

 

就活します。

 2年目の就職活動を始めます。

 去年は悲惨なものでしたね。とにかく何もかもが怖かった。逃げるのが悪い、とは思ってないが、多くのことから逃げ、悲しいほどの対策無しで面接もろもろに望んだ。

 

 受かるわけがないね。受けてて自分でも分かる。

 就職なんて運だと思ってるけど、一定基準の越してからの運だ。足切られたら運もクソもないね。

 就職したくない、とは思うけど、生きたい、と思ってしまったから、それの一番の近道、で今できる方法がそれだ。なので、もうやるしかない。

 もう追い込まれたから仕方がない。何でもやってやる。

 勿論、一番大切なのは自分。自分が嫌だと思うようなところには行かない。体調、精神の安定だけは保たなければならない。

 まあ、所詮半年のゲームだと捉えて。パーフェクトなんて取らなくていい。クリアできればいい。

 一度ゲームオーバーした身、コンティニューしてやろうじゃないか。

 ニューゲーマーども、お前らに負けるか。

 

 

生きたい

ふと、思ったんですね。

俺がこうやって日々色んなことを考え続け、あーでもない、こーでもないと堂々巡りをし、一歩も前に進めない日々を貪っていて、結局何になるのかと。

何にもならないんですね。でも、それでいいんですね。人生、何が起ころうとも何が無くなろうとも、それでいいんだ。人生に何の意味もない。人生に何の目的もない。人生に何の理由もない。それでいいんだ。

生きている。それだけが、人生の意味で目的で理由なんだ。

ああああー早く気付きたかったよ。二十数年たって、ようやく分かった。でも、この時間が必要だったのだろう。

結局、人がするあらゆる行いは「生きたいから」だ。自分らしく、生きたいからだ。

だから、人は嘆いて悩んで苦しんで悔やんで、泣いて悲しんで憂いてもがいて、叫んで吠えて怯えて抗って、喜んで笑って嬉しくなるわけだ。

みんなみんな、そう生きたいんだ。

理想の生き方が出来なくてみんな考え、悩み探り続けてるんだ。

でも、みんなそれを言ってしまうのが恥ずかしい。認められない。だから、鬱々とした、誰にも伝わらない叫びしか出てこない。

もう、恥ずかしくても、それに気づいたからには大声で言おう。

「俺は、生きたい。幸せに、なりたいんだ。」

死は共に永遠に

 先日、成人の日がありました。二十数年、良く生きてこれたなあ、と毎年驚いている。ふとしたことで、ふとした時に死ぬことなく、生き永らえてきた。

 人って、簡単に死にそうな生き物だなあ、とよく思う。すぐ横を走っている車に当たったら。階段で足を滑らせて転げ落ちたら。頭をどこかにぶつけたら。乗っている電車、車が事故を起こしたら。

 日常が1ミリずれるだけで。ほんの一瞬の気のゆるみで人は死ぬ。簡単に、無残に、それまでをあざ笑うかのように。人は死んでいく。何も新聞やテレビでのことでもなく。すぐ隣にあることだ。

 なのに、俺は何故か今日も生きている。何故か、って言っても、死ななかったから、だけなんだけれども。単に運が良かっただけだろう。特別な意味も理由もあるまい。

 逆に、ちょっとツイてなかっただけで、どれだけ生きたくても死んでいく人はいる。生物である以上、それはどうしようもないことだ。まあ、人生全てが運と偶然の賜物だ。

だから、何故か神の気まぐれか思し召しか知らないが、二十数年、生きている。今日だけでも自分に言っておこう。おめでとう。生きていることが是であるかは置いておく。よく生きてたな。

 

 と、こう書いておいてだが、俺は死ぬことが全く怖くない。生きていることに喜びを感じないことはないが、うっすらと絶望という名の靄がかかり、晴れない人生を送るだろうことは容易に予測できる。まあ、それが俺なので仕方がない。薄い、明るい、気味の悪い絶望を纏ったまま、楽しく生きてやろう。

 というか、これまで人生がとても楽しかったので、満足しきっている、というのが上の理由だろうか。これまでも暗い層に覆われた20年だったが、なんやかんやで楽しかった。20年で満足し、特に望むことはないのかもしれない。ああ、いい人生だった。しかし、ここで終わらしてはくれないが。延長戦は終わらない。どんな結果になろうとも。

 

 明日、死ぬと言われるよりも、明日が永遠に続く、と言われた方が死ねる。嗚呼、なんて絶望。

思いよ幾多になれ

 先日、ポッOーの日という日(?)があった。本来、こういう日は大嫌いだ。会社の戦略に乗っかってしまい、無自覚に購入する、考えない馬鹿どもめ、と本気で思っている。企業戦略やメディアにただ振り回される無知な民ども、とまで思っている。

 しかし、前読んだ本にはこのようなことが書いてあった。

「世間で行われるベタなイベント等に対して冷めた目で見て批判する。そうやって俯瞰で生きて、ツッコミを入れて。それで楽しいのか?そうやって、遠くから見るばかりで何もせずに人生過ごすのか?」

と。グサッと来たね。インターネットを徘徊し、リアルの人々を気持ち悪いくらいの言葉と団結感で批判し、優越に浸る奴ら。そういう奴らも嫌いだからだ。

 自分を俯瞰せず、完全に俺はネットの住民だ、と言ってしまえばそんな気持ち悪さもなくなるのだろうが、そうはいかない。リアルへの憧れが多分に残っている。

 しかし、無邪気に騒ぐことも出来ない。騒ぐ相手もいない。

 また、別の本にはこう書いてあった。

 「思いなんて、一つじゃなくていい。価値観なんて、自分が生きやすいように使い分ければいいんだ。悩むことなんて何もない。一つにこだわる必要なんて、ない。」

 と。そうだ。社会なんてクソで。社会で楽しくいきたくて。振り回される連中なんてクソで。馬鹿みたいに騒ぎたくて。一人でいたくて。誰かといたくて。死にたくて。生きたくて。

 思いは一つじゃなくていい。生きやすいように選んで使ってやれ。