多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

一年去ってまた一年

 2020年になった。去年の初め頃はまさか今年を迎えることが出来るとは思ってなかった。本気で今年死ぬと感じてたからね。

 会社行かなくなって10か月。まあ、人生こんなものである。

 去年はそんな感じでクソな年だったなと思うけど、会社辞めたことはプラスでしかない。いや、鬱になったり、耳とか脳がおかしくなったのは本当に困るんだけど。今でも大変なんだけど。会社行ってても何一ついいことないし、100%正しい判断だった。

 で、「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」という史上最高のゲームに出会えたし、「ゆるキャン△」という最高に好きなアニメにも出会えた。それらがあまりにもプラスで、総合的に見ると悪い年ではなかったな。

 まあ最悪の気分の時もあるけど、そんなもんだろう。死にかけながら生きていくしかない。まあ、今存在出来てて良かった。本当に、よく生きてたな。

 今年の目標は「生き残る」。以上である。それだけであるが、それが如何に、どれだけ難しいことか知っている。それだけで人間には限界だと思うのだが。それ以上求めないでくれ。

 ということで一年間の長い闘いが始まる。もう一週間経ってるけど。

ぼちぼちやっていきましょう。

外では携帯電話はマナーモードにしてね

  今日は最悪の気分である。

 病院の待合室がそこそこ混んでて薄いイラつきを感じていたところに、隣の人間が携帯電話を大音量で鳴らしやがった。完全にブチ切れた。病院で、あまつさえ俺の隣で電話を鳴らすアホがおるか。まあ、世界一のアホだからそんなことが出来たんだろうけど。今後やったら殺す。

 で、しばらく切れてたのをギリギリの状態で保ったまま、呼ばれ診察へ。

 めちゃめちゃイライラしてたので医者にも相当の態度で当たってた。言葉遣い悪いなと喋りながら思ってた。普段は俺って言わないのに言ってるなーとか。

 うーん、やっぱあの医者信用ならんな。聴覚過敏への理解が本当にあるのか。あんまり効かない薬増やすしかやってねえぞ。

 あと、双極性障害って診断だけど、それだけなのか?

 HSPなのは確実なんだけど、ASDとかも当てはまってると思うんだよな。正確に知ってるわけじゃないから言い切れないけど。そもそもその辺は曖昧で複合していることもあるから分からないんだけど。でも医者からそういう単語は聞いたことなんだよな。そもそも知ってんのか。

 聴覚障害の本とか記事は少ないけど、発達障害とかHSPだとめちゃめちゃあるのな。

 そんなにいるのかってくらい。色々参考になりそうだな。聴覚過敏に絞るといい情報が少ない。

 まあ色々調べていくか...。仕事についても書いてあるの多くて助かる。働きたくはないけど。というか就職は現時点では不可能なので、仮に1年以上生きるとしたら、PCで出来る仕事探さないといけないんだよな。まあ生きるか分からないけど...。

 なんか書いてたら少しマシになってきた。散歩でも行ってくるか。もうすぐ日の出かな。

過去に戻れるとしたら

 どうするか、ということを色々な過去の地点で考えてみた。

 どの時間に戻ったとしても、「その地点以降の恥と苦しみを生み出さないために即自殺する」のが最適解であり、それ以外思い浮かばなかった。

 もうこのことを考えることはないでしょう。

lonely, slowly

 生きていて、突然寂しさを感じる時がある。無職で知り合いもいないし、1年で医者と公的機関職員としかほぼ会話をしない生活だから当然なんだけど。

 とういうよりも、普段から孤独だとそれに慣れて気にならなくなってくる。孤独という概念がない。会社で嫌いな人間と対応するよりもそっちの方が断然いいし。

 しかし、それでも寂しさが襲ってくる。迅速にそれは体中を覆いつくし、瞬く間に鬱になってしまう。本当にどうしたらいいんだろうかなあ。まあ今がその出始めの感じで、精神凋落期がしばらく続きそうな気配がビンビンする。その自覚がある時点でどうにか出来ればよいのだが、どうにか出来てれば苦しんでねえよ。

 本当に即効性で体中に染みてくるんだよな。毒のように、しばらくすると動けなくなる。まあ、永遠に動画見たり、ゲームして思考の猶予を与えないようにしないとな。あー、嫌だなあー。

 今日の気分。曇りのち、大雪。

見限る勇気

 会社行かなくなって、精神が地に墜ちていた時、自分も世界も全てを否定していた。

 その後、少しづつ回復していくための手立てとして、会社に行かない自分を肯定することにした。しかし、そのためには世界の全てをさらに否定する必要があった。悪いのはそっちだ。私ではない、と。それを続け、それとなく回復しつつはある。のだが、それは、世界は敵であるという認識を植え付けた代償により得たものである。自分を否定するものは全て敵。自分は正しいものだ、と。

 だから社会に迎合しようとすると一瞬で精神崩壊するだろうなあ。

 すでに今でも心が偏狭になってるのをまじまじと感じる。

 世界に興味はないけど、自分の気に入らないものがあると、心がざわつく。耐えられない。

 うーん、今後生き続けるとなると大分しんどいだろうなあ。まあ、ずっとそうなんだけど。

 世界で生きるには世界を受け入れるしかないらしい。そうでないと認めてもらえない。じゃあ、世界を作るしかないか。

Wake up, break up !

  最近は深夜や夜明け前に起きる生活が続いていた。やはり朝きちんと起きているのは気分がいいし、日の出を見るというのも美しい。

 その後、一日が一日中あるため、どこかに出かけようという気も出てくる。この1週間、結構出かけた。普段引きこもりで夜のスーパー以外行かない生活から急にアクティブになってびっくりした。と言っても、家の近くとかスーパー銭湯とかばっかりだけど...。

 朝きちんと起きれる人向けにこの世は作られているらしい。

 会社で働いてた時は無理矢理に朝起きていて、苦痛で苦痛で仕方なかった。朝起きていて、めちゃめちゃ疲れていてめちゃめちゃ眠いのに夜は寝られない。眠りたくもない。理由は簡単。自分のために時間を過ごしてないからだ。一日中、会社のために時間を、人生を使い、自分のために生きていない。少しでも「生きる」ために、夜ネットやゲームをする。自分を取り戻そうとするわけだ。その時間が全く足らず、夜は眠くない、寝られない、寝たくないというわけだ。

 深夜型生活でもそうかもしれない。というか満足していない時。人生を少しでも得たくて朝や昼までゲームをしてしまう。どれだけすればよいか分からない。

 それが、朝方生活だと、朝と昼にそれなりに行動し、一日を過ごせたと思う。そうすると割と普通に眠ることが出来る。「人生の一日」をちゃんと過ごしたという満足感があるからだろう。

 朝方生活が推奨されているが、やはり正しいのだろう。

 精神が崩壊してくると、自分を受け入れてくれる闇を求めて、生活リズムも崩壊させる。そうして夜に、自分の部屋に閉じこもり、どこにも行かなく、行けなくなる。

 なんという悪循環なんだ...。と思うけど、そうなってしまうのだから仕方ない。

 まあ、こんなもんだと思って、やりたいようにやりましょう。

 朝起きるのは気持ちいいよ。無理だけど。

 今日はいい感じ。

時の流れは不思議だね

 別に生きたいと思ってなくても、生活というものはルーティン化されており、起きて飯食って歯磨いて風呂入って寝るというのを日々、している。

 無意識というのは正しいのか。全てしようと思ってしているのではあるが、別にしようとしてしているのではない。完全に「そうなっているから、そうしている」という機械的行動と言える。

 人生に何の興味がなくても、人生、生存行動を行っている。不思議なものだ。「わざわざ」、生命維持活動を行っているわけだ。放っておけば死ぬのに。何の意味も目的もない人生を持続させる理由は何だ。意味は何だ。それすらもない。

 単純に死を恐れる生命としての本能かもしれない。死を望みつつも、死を恐怖し回避する。そのための行動を取らせている。そういう意味で「ただの生物」にすぎないのだろう。

 自死を実行できるって、とてつもない勇気だ。生き残ってるのは全員臆病者である。そういう遺伝子が引き継がれているため、普通なのかもしれないが。

 何もせずとも時間は経つ。時は移ろう。季節も変わる。時間は全ての生物に平等なのだろうか。眠りが少なくても平気な人は有利だ、と思っているが、まあそんな気にすることでもないかもしれない。

 そもそも時間の有無ではなく、時間を、人生をどう捉えるかだ。長くても永遠の苦しみかもしれないし、短くとも充実し溌剌とした刹那かもしれない。

 まあ、人生こんなものだと思いつつ、とぼとぼとやっていくしかない。まあ、何とかなるかもしれない。何ともならなかったら、そういう生命で、運命だ。

 今日も一日が終わる。まあ、そこそこいい日だったよ。