多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

人生脱出ゲーム

 死にそうとかどうしようもないってめちゃめちゃ思う時があるんやけど、大体そんなことはなくて、動画見たりネットしたりすると普通に笑えてどうしようもないことはなくなる。

 勝手に思考が狭まり、悪い方へ、悪い方へと螺旋して最終的に死ぬしかないとか思えてくる。

 そうならないためには思考を無理矢理止め、楽しいことに気を向けると大体はなんとかなる。

 しかし、一人で考えている時は絶望ループの思考を途切れさそうにもなんともならない。楽しいこととか旅行のことを考えようとしても絶望螺旋はその介入を許さず、私の身体ごと地へ飲み込もうとする。

 自分の頭だけで、狭まり一つのことしか考えられなくなっている思考の方向を変えるのはかなり難しいのだな。何か物理的介入をさせて、そうせざるを得ないようにする。

 いくつか絶望脱出のものは用意してあるけど、パソコンかテレビが無いと出来ない。

 何か5年くらい同じようなこと考えて絶望を続けてるけどもうしゃーないのかね。堕ち、陥るたびに抜け出すしかない。何度でも。

 要するに、仕事中に何か考えて絶望に突入して抜け出せなくなるのはゴミアンドゴミアンドゴミ。

 さっさと家帰りたい。

scramble

 気持ちの上下が激し過ぎて本当にしんどい、、、。

 いや、大学生中盤くらいからずっとそうなんやけどさ。

 めっちゃ楽しいと思ってたら次の日いきなりしんどすぎて寂しくて死にたくなったり、そう思えば次の日は少しマシになってたり、死にそうなのが数か月続いたり。

 感情、、、というか自分で制御できないそれらしいものが真正面から俺を飲み込んで苦しめたり、舞い上がらせたりしてそれに抗えない。そいつのやりたい放題に付き合わされて感情らしきもの、、、テンション、、、躁鬱、、、?に振り回されるのに本当に疲れる。

 楽しい、生きたいの後につらい、死にたいが突然襲ってくるその反動よ。その上がり下がりに慣れてきたように思えたらいきなり途轍もなくでかい負が墜ちてきて踏みつぶされる。ああ、しんどい。

 もうどうしようもないので、めちゃめちゃしんどくても晴れるかもしれないので、いきなり死んだり破滅行動に出ないことだけは覚えておきたい、、、。

 何かもう駄目やーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 生き物である故にしんどいことが

 「出来るだけ長く、幸せに生きたい」が、「いつ死ぬか分からない」ことである。

 明日や2年以内に死ぬのなら、今すぐ会社辞めて好きなことして生きるのに、それ以上生きてしまうリスクがある。

 といっても、10年後とか生きてるのかね?無理そうなんだが。

 あと5年くらいが丁度いいのではないか?30歳で死を目途に人生を計画するか。

 まあ、もっと早く死にそうな気もするけど。

 あーーーーほんとにいつ死ぬか分からないって、面倒くせえなあ。

 あと5年生きるつもりで、2年は働く計画立てても2年たつ前に死んだら、何やねんざけんなと思うし。

 それと、老後まで生きるつもりの人間、めちゃめちゃ怖い。どんだけ号運で想像力に富んでんねん。あ、死ぬ想像力がないから平気でそう思えるんか?

 ま、知らんけど。怖いわー。

 とりあえず5年は運が持つことを望む。まだ死ぬのはいいかな。

 頼むで。ほんとにこればかりは神頼み。

毎日運試し

  生きていること、その全てが運がなあ、と思った。

 生まれてきたことも運、人間に生まれたことも運、この時代に生まれたことも運、この場所に生まれたことも運、生き永らえてきたことも運。今日、生き延びたことも運。

 今日、死ぬ可能性も十分にあった。なのに、生きた。今までもずっと死ぬ可能性もあったのに、何故か今日まで生きてきた。そして、死ぬまで死ぬ可能性は付きまとう。

 本当に不思議なことだ。生きていることそのものが運ではないか。

 生きていることを是とするなら、20何年も生きてきたのだから、なかなか強運ではないか?

 そうだな。世界の全てが運なのだから、ゲームやらくじやらの運に怒ることはナンセンスなんだよなあ。其れ如きの運に一々怒って何になる。

 まあ、そこまで割り切らなくてもいいものか。ゲームはゲームだ。

 そう、今日も明日もこの先も、毎日運との戦いである。さあ、何が起きる?何をしてくる?

 それは運か、運命か。

サリシノトキ

 大学で留年して、2年間4年生だった。

 その時の生活はだいぶ狂っていて、昼夜逆転生活、昼の12時、13時頃に寝て夜の19時くらいに起きていた。

 就活時期以外に予定はなく(4年の時はサボりすぎて就職決まらなかったのだが)、月に出かける予定が一日くらい、卒論のために学校に行く、とかが多かった。

 卒論をする気もなく、ひたすら家にいてニコ動を見まくった。なんか寂しくなると生放送を探してみた。深夜3時とか朝の5時に放送してるような奴の放送を見てるとなんか安心した。世界には変な奴がいっぱいいて、私も大して変わらない存在だと。そうして薬を飲んでも寝れない夜を明かし、朝を迎え、暖かくなってくる昼頃に寝る。これで正常に生活を送ろうとはしていたのだから狂っている。本当に。

 いや、良く生き延びることが出来たな、と。毎日死にそうで仕方なかったのは私が身をもって知っているわけだけど。毎日精神崩壊しながら、世界も崩壊しろと思いながら、何故か生きてた。

 うーん。まあ、生きてるのを是とするなら、見ていたアニメやニコ動、放送主に感謝感激である。いや、本当に。

 

 そして今、夜の1時、2時に寝て朝8時に起きて会社に行く毎日を送っている。大学で9時から始まる授業に数回しか行けなかった私が毎朝起きれていることが気持ち悪い。どうしてこんな生活サイクルが送れているのだ。

 薬も貯めていた分が切れそうだから、8等分してちびちびと飲んでいる。一日一錠飲んでいた時も、これのおかげで寝れたためしはない。それでも、それなりに寝れてはいる。

 まあ、会社辞めてやる辞めてやると思いながら機械の様に向かう今と崩壊生活だった時、どっちが生きているというのかね。

 精神を休めてくれた夜通し放送や、深夜の散歩が出来ないことは何となく寂しい。

 そのうち、大学生の時よりも退廃した生活になる予定なので、それでも生き抜いた術を覚えておきたいものだ。

 まあ、もう少しは生きたい気分ですな。

その瞬間の浮遊感

 眠りにつく前の意識が朦朧としている時が好きだ。

 寝ているのと起きているのの狭間。自分の状態が分からない、ふわふわとした時間。意識の有と無を揺蕩って、全てが混沌とし、自分もそれ以外も何もかも分からなくなる。その瞬間の浮遊感。ゆらゆらとした状態が心地よい。

 会社であまりに眠いが我慢して、そうなった。半分寝てるやないか、というのはまあまあ。

 この前風邪を引いたときはさらに快感であった。旅行前々日で色々大変だったのは置いておいて。体中はギシギシするし、熱っぽくてふらふらするし。しかしその浮遊感。体の感覚も曖昧模糊。意識も体も世界に還る。私から世界と一体化する。ああ、なんて快感だったものか。

 風邪は嫌だが、たまにはそんなトリップもいいのもかもしれない。

 それをもっと手軽に味わえないか、と思ったらあれだ。アルコールだ。

 私はアルコールが全く飲めない、ただ気持ち悪くなるのだ、のでその感覚を味わえない。

 酒って嫌いでしかないが、飲める人はその浮遊感を気軽に味わっているのではないか。それなら好きになる気持ちも分かる。

 ただし、浮遊状態では何考えてるのか曖昧だし、変なこと言ってしまいそうである。それに人前で人前でトリップなど、そんな姿見せていいものか。

 そうすると、人前で酒飲む奴って勇気あるなあ、、、周りもそうでならいいや、と思ってるのかね。

 まあ、家で寝ぼけながらニコニコ見て変なコメント打ってる私が言えたことでもないか。