多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

最終電車

 暗闇の中で煌々と輝く高層ビルの間を轟轟と駆け抜けていく

 初めてそれを見たとき、それに圧倒され目を輝かせ、胸を高ぶらせたものだった

 彼は今、満員電車の中、肘をつき座りながら無表情にそれらを眺めている

 夜なのにただ眩しいものだなあとか、そんなことを思いながら

 ふと窓と逆側を見る

 満員電車に詰め込まれた黒くて表情のない有象無象

 そして、もう一度窓を見る

 映り込む有象無象の姿 追いかけてきたように感じた

 そして、音を立てずため息をつく

 半年後には、これの仲間入りか、と

 

 電車は高速でレールを突っ走り、見ることのできる建物は次々と姿を変えていく

 停まることはない

 半年後にはこの快速の電車に乗り込み、40年間、降りることはないのだろう

 終着の時間だけを知らされ、目的地も分からないまま

 彼は数日前、就職の最終面接を終えた所であった

 受かるとそこに就職することになる そうすると、未来が決まる

 今までは未来が見えないことが不安で不安で仕方なかった 真っ白な大海原で常に彼は迷い、彷徨い、もがいていた

 だから、未来が見えてしまうことで未来が真っ黒に塗りつぶされことに驚いた

 真っ白を彷徨う漂流船から暗闇を延々と一直線に進み続ける電車に乗り換えてしまうのだ

 電車を飛び降りてしまおうか、と考える

 飛び降りた電車を振り返る

 落ちろ、落ちろと互いに牽制し合っている真っ黒な乗客の姿が見えた

 落ちたことで醜く笑みの形を作る顔、落ちた様を写真に捉えようとカメラを向ける様子

 すべての顔が歪んでいた

 どこに落ちるのだろう 馬の上かもしれない 飛行機かもしれない 舗装されてない道を歩いて進まなければならないかもしれない

 落ちたら何が待っているのか

 

 そんなことを思いながら目の前のビルを睨み、軽く窓を殴りつける

 電車が緩やかに速度を落としながら、停車駅のアナウンスをする

 暗い街並みが照らされていく

 まだ目的地は見えない

 

 

 

ダイスキだったらダイジョウブ?

 オタクって一体何者なんだ、という疑問

 

 「オタク」という言葉が指すものって一体何なのだろう。Wikipediaや色々なサイトを見てみても定義やらは曖昧で何を言うのかはよく分からない、、、。

 ので、自分で定義すると、「対象物を熱狂的に好きである人、愛している人ならびにその状態」となるだろう。なので、その前に対象物を言うことが前提であると思っている。OOオタクというように。

 自分の中で5大オタクは、アイドルオタク、ジャニーズオタク、鉄道オタク、アニメオタク、オーディオオタク、である。ジャニーズオタクはアイドルオタクの中に含まれるが、母数が多そうなので自分の中では別扱いである。

 

 なのだが、オタク=アニメオタクであるということを前提とした記述がインターネット上、というかどこの世界でも多い。というか、定義が曖昧なものなのに、定義をしないままに使われていて、文章、文脈がよく分からないことがある。

 というか、オタク=気持ち悪いもの、という前提さえあり、それはさすがに理解に苦しむ。何故だ!?秋葉原にいそうな(自分は行ったことなので分からないが、、、)太った、チェックシャツを着て裾をズボンに入れて、「デュフフフwww」と言っている男性を想像してるのかなあ。そんな人、テレビとインターネットでしか見たことないのだが東京にはいるのか?東京の人はみんな見てるの?

 何かのオタクであることはその人の容姿、人となりには全く関係ないので忌み嫌うのは分からない。迷惑をかけたり変なことをしている人もいるんだけど、それは何かのオタクとか関係ないでしょ。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人とかも特殊な例。確率的には差なんてないはずなのに、一つの例を出してアニメオタクを嫌うのは筋違いだろう。

 まあ、そんな人には自分が説得するよりも、辻村深月さんの『スロウハイツの神様』と『ハケンアニメ!』を読んでもらった方が早い。本当に好きな本だから読んでほしいな。

 何かを好きであることは、個人的なことであるし、とても幸せなことなんだけどなあ。何かを大好きな人を、好きなもののない人が批判している、というのは悲しいなあ、と感じる。好きなものがある方が絶対いいんだけど。

 

 何のオタクか、どんな人なのかを定義せずに、ただオタクを自称したり、批判したりするのはよく分からないからやめてほしいなあ、という話。OOオタクって、きちんと言わないか?

 あと、OOのオタクは何々してて当然、何々を買ってるもの、と見る人もいそうなので、それを名乗る人って勇気あるなあ、わざわざOOオタクを名乗るのって、よく分からん。OOが好きだ、としか言わないなあ。

You are all controlled by ...?

  前の記事で、男性、女性とは洗脳されてなるもの、という記事を書いたが、性欲についてはどうなんだろう。

 生物本能として、主に異性に惹かれるのか、そう仕向けられているのか、どっちだろう。

 言ってることは前と全く同じだけど、これは生殖という生物の役目なのか、資本経済にコントロールさせられている欲求なのか、どっちだ。

 後者だったら、しんどすぎるな。セックスしたいと思うのも、身体を触りたいと思うのも、AVを見るのも、果ては異性と交流したいと思ったり、恋人を作りたいと思うのも、経済だったり、社会だったりがそうさせている、ということなんだろう。

 ああ、嫌だ。まあ、経済社会としても、生物社会としても、異性に興味を持たせ、子供を産ませる方がいいに決まってるからねえ。それ関連の消費も増えるわけだし、将来の税収も増えるわけだし。

 自分が思う性、並びに性志向ってどこから生まれたのだろう。生物は異性に惹かれる。それも本当のことなのか?

人間の雄と雌は演技により男と女となる

 ジェンダーって、つまりは洗脳

 

 男装とか女装をしてみたり、話題にしている人がいる。それを聞いて、それって、一体なんなのだろう、と思った。例えば、化粧をして、長い髪のカツラをかぶり、スカートを履いて、フリフリした服(?)を着ればそれは女装なのか。それは何故「女性の服装」であるのか?尚、男性の例はよく分からん。

 誰がその姿をすれば、女性ということになるのだろう。誰がそう決めたのだろう。

 しかし、スカートは女性が履くもの、という認識があるように思う。学生服なんかは最たる例だ。私の出身校はどこも男性はズボン、女性はスカートと決められていた。

 おかしくないだろうか?制服の是非はここでは置いておく。何故、制服が性別で異なるのだろうか。女性は冬でも足を覆えないスカートを履かなければならないし(下にジャージを履いたりすれば田舎のヤンキーとか言われるし)、男性は暑くても長ズボンを履かなくてはならない。機能的な面で見ても不便でしかない。さらに、主に女性への盗撮被害や痴漢被害を考えると、スカートを履くのはそのリスクが高まる、というマイナス面が考えられる。スカートを履きたくない、という女性もいるだろう。逆もまた然り。

 私には制服を男女で分けることはデメリットが多いように思う。なのに、今まで制服を統合しろ、という意見を聞いたことがない。これは疑問だ。男性の私には、女性がスカートを履かされるのは苦痛であろうと思っているのだが、当の女性はそうでないのだろうか。

 ここまで服装を例にしたが、男装だったり女装だったり、他には男は外で働き女は家を守るだったり、男らしさとか女らしさとか、そういった言葉は全部、お前は男性/女性であるという意識を植え付けさせる、洗脳であると考える。

 そもそも、人間の雄と雌には身体の差以外に違いはないはずだ。生まれた状態がそうだし(見た目で異なるのは性器のみのはず)、成長してからも顔付きや身体付きは異なるが、それ以外、何も異ならないはずだ。

 思考や志向や嗜好の差はあるのかもしれない。しかし、それはそうなるように植え付けられたものであろう。

 現代日本では、生まれたときから、男には「男」として育て、嗜好を植え付け、女には「女」として育て、嗜好を植え付けている。そう、日本人が思う性とは、そう仕向けられ、洗脳されたものだ。男性、女性は違うものだと教えられ、そう演じさせられる。雄は男の行動、服装、等をすることにより男になる。女性も同様。

 性で悩むというのは、洗脳がなされていなくて、洗脳された周りに着いていけない、考えが合わない、または洗脳と身体が食い違う、というのが理由の一部だろう。

 不思議だ。男性/女性であるということで、行動が制限され、それを飛び越える際にはわざわざ男装、女装だったり、女子力だとかイクメンだとか「違う行動である」という表示がなされる。何故男性/女性なら「当然」であることを違う性で行うと「異質、特別」なことになるのだろう。そして、それをそう受け止めて批判したり、特異な視線で見たりするのだろう。

 6年前くらいか。曖昧な記憶で残念なのだが、大阪大学のパンフレットか広報誌かなんかに誰か教授がこんなことを書いていた。

「ここ数年はスカートを履いている男子学生がいなくて残念ですねえ。毎年、何人かはいたものなのに。」

 これを読んで、何かモヤモヤしていたものがハッキリ見えた。やっぱり、これは「疑問」としてもっていいものなんだ。当然じゃなかったんだ、と。

 それ以来、永遠に疑問である。性を演じさせられている、演じさせていることは何故当然の事なのかと。

 別に、男性がスカートを履けだとか(男性諸君はスカートを履くことを「女装」等と明記する必要があるのか、考えてみないか?)、制服のスカートを廃止しろだとかそんな細かいことだけが言いたいわけではない。つまりは、権利の問題だ。自由の問題だ。平等の問題かもしれない。性の違いによる男性/女性の違いは何故あるものなのか。分ける必要はどこにあるのか。性の当たり前があるのは演技をするためにありがたいことではない。有難いことだ。

牙を抜かれた獣は愛玩動物はたまた家畜

 最近、感情が無くなってきたんじゃないか?と思うことがある。

 夏休みに入り(1年近く休みみたいなものだったが、、、)、人と会わなくなり、試験の面接もしばらくは無かった。つまり、圧倒的に刺激が少なく、日常的に感情が揺さぶられたり、深く考えたりすることが少なかった。

 それはいいことでもあるのだが、最近はあまり精神が良くない。揺れ幅は小さいが、緩く、緩く絶望へと向かっている気がする。少しづつ、精神ごと奪われていくような感覚。

 ヤバい!!

 前の俺はもっと尖がってたように思う。怒り、死にたがり、爆発させていた。それが、どうした。静かな諦め、少しづつ絶望の沼に全身を沈められていっている。

 あああああ何かヤバいわああああ

 もっと感情を露わにしていきます。ええい!

 ブログも書くぞ!

女子力、死ね。

 女子力、という言葉が大嫌いなので、その理由と気持ち悪さについて考えていこうと思う。尚、筆者は男である。

 まず、その定義について確認しよう。Wikipedeiaから引用させて頂く。

引用始め

女子力(じょしりょく 英語women's power)は、輝いた生き方をしている女子(一部の男子)が持つ力であり、自らの生き方や自らの綺麗さやセンスの良さを目立たせて自身の存在を示す力男性または女性からチヤホヤされる力

引用終わり

 

 ーーー何を言っているのか?私には分からない。色々なサイトを見てみても、モテる能力、女性として好かれる姿、「女性らしさ」などという言葉で語られている。

 そこで、一つの疑問が生まれる。

 結局、何なの?

 

 不可解さを整理していこう。

 まず、「女性らしさ」という言葉について。女性、男性というのは社会的に作り上げられたもので、その定義というか、何をもってそうとするのかは私には非常に難しいし、言い切れない。(生物的なセックスのことを言っているのではない。人間の社会における、男性、女性のことである。)LGBT等の人々の存在により、異性が好きであることがその性である、という定義はなさないであろう。

 結局、男性、女性というのは、その社会で、または生まれ育った環境で刷り込まれた概念である。場所が変わればそれは勿論変わる。なので「らしさ」というのは生まれ育った環境によって変わる。というか、人それぞれだ。

 十人十色である考え方を、「らしさ」という言葉一つでまとめ上げる。定義が全く違うものを、同じように見せてしまう。自分の考えに当てはまらない他人を「らしくない」といって否定してしまう。これは言葉の暴力でないか。

 特に、男性が「女性らしさ」という言葉を使う時、それは「自分にとって都合のいい女性像、自分に魅力的な姿」等を押し付けている。自分にとって都合のいい女であれ、と言っているのだろう。男性は女性を支配するもの、という考えが残っている証拠ではないか?上から評価してやる、という目線かもしれない。

 同じような意味で女子力が使われる場合、危うい状況であることが分かるだろう。自分に都合のいいように女性を使い、そうでないと「女性であること」を否定してしまう。どちらにも無自覚であっても、そこには主従の関係が隠れているのだ。

 

 次の引っかかりに移ろう。女子力が男性に好かれる魅力、という意味で使われる記述も多かった。それでいいの??

 上のように、男性にとって都合のいい使われ方もしている。そして、女子として魅力ある姿が男性にモテること、というのはいかがなものか。性をモテで評価する考えに違和感を覚えるので、素直にモテる能力とでもいいのでないか。そう言う人は皆、恋愛至上主義なのだろうか。

 

 次に。男性に対してまで女子力が使われる理由は何だろうか。家事が出来たり、オシャレだったり、メイクをする男性等に使われるようであるが、何故それを女子力というのか。男性はそれらは本来出来ないもの、なのに出来るということでここでは逆に女性から評価されている気がする。つまり、さっきとは全く逆の主従関係が生まれることであろう。男性に「女性らしい」ということはこれも性の否定であり、暴力ではないか。

 

 結局、定義の曖昧でよく分からない言葉で他人を縛り、人々を生きにくくしているのでないか、というが私の思う結論だ。自分の定義を人に押し付けてはいけない。自分の思う性を追求し磨くのは自由だが、人に合わせたり、人を評価してはいけない。

 この言葉の発祥は分からないが、恐らくテレビあたりのメディアが、ファッションや美容関連の消費を促進するために作った言葉だろう。もしくは偉いオッサンが自分の好みの女性像を普及させるためか。

 メディアによって振り回され、性を否定されるなんてことは御免だ。万一、男性力なんて言葉が生まれたら、そのプロデューサーをぶん殴ってやろうと思う。お前らの作り上げる像に沿って生きてなんてやるか。

 

 最後に。

 成人になって、子はねえよ。男性、女性って言え。

 

 

 

 

 

 

 

 

Aqours愛

 Aqours尊い、、、渡辺曜ちゃん天使すぎる、、、

 

 ラブライブ!サンシャイン!!が最近好きすぎて、就活と人生の疲れを全部、これで癒してもらってます。みんな可愛い、、、恋になりたいアクアリウム、、、いい、、、

 

2ndライブ一次は見事に落ちましたけど、絶対に行きたいんすよ。せっかく神戸に来てくれるんだし、またとないチャンス。2次あたってくれ、、、

 

で、今度沼津行くんですよ。念願の沼津!!!HAPPY PARTY TRAIN!!みとしー!!沼津港!淡島!ヌーマーズ!その他色々!もう、楽しみでしかない、、、!!

 

と、まあ、めちゃめちゃ好きなものがあるって、本当に幸せなことがあるっていいよね、ってことです。

サンシャイン!!大好き!