多岐亡羊

社会を漂いもがいて何とか生き長らえる子羊です。

映画「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」見てきた。

 良かった。めっちゃ良かった。

 ミュウツーが自分が人の手で作られた存在であると知り、自分の存在や自分がそこにいることに疑問を持つ。自分が最強であることを証明するため、強いトレーナーのポケモンのコピーを作り戦わせ、コピーの方が強いことを確かめる。自らはコピー元であるミュウとの決着をつける。

 壮大なストーリーや謎があるわけではなく、創造主である人間への復讐のため、ただ戦い、力を誇示するという、そんな話。

 自分は誰で、ここは何処で、何のために生まれ、どこへ行くのか、特に答えが出るわけではなく、どこかへ行き、おそらく生きていく。

 21年前に(一応)子供向け作品として作られた内容とは思えねえな...。

 しかし大ヒットしたようで。どんな気持ちで子供は見るんだろう...。

 CGのポケモン映画ってどうなん?って思ってたけど、迫力がめちゃめちゃあるし、ポケモンの奥行き感があって良かったですね。城とかスタジアムもカッコよすぎる。というかポケモンってCGに結構向いてるんじゃ?

 て思ってたけど、終盤のピカチュウのコピーとのシーン、あれは手描きがやっぱいいなあと。

 というか「大谷ボイスのサトシのピカチュウ」は手描きでこそだなあと思いました。

 「風といっしょに」 もうこれだけでもいい。すごい。

 

 自らの存在意義とか存在理由とか、目的とか、なんでこんなところにいるのか、そもそも何で生まれてしまったのか、答えのない問い、戦いに一生悩まされてまともに生きれないのは損なんですよ。でもそうしないと生きれないんですよ。

 馬鹿みたいに自問自答して勝手に自分で自分を苦しめて生き辛くして、そんなことしなくても生きていける人間は楽だなあ、そいつらに比べてなんて劣ってるんだとか。そういう妬み恨み痛み辛み苦しみを勝手に作って体中に括り付けて縛り上げて、なんて馬鹿なんでしょう。

 ミュウツーはそういうやつらの希望であり絶望なんでしょう。

 どこまで行くの?どこまでも行こう。どこまで? 

新卒で入った会社11ヶ月で辞める

  まだ会社辞めてないけど、辞めると言ったし、色々書いていこうかな。

 そもそも、就職なんて全くしたくなかったんすよね。大学2年か3年くらいの時期。当時は起業して自分で稼ぐ気だったし、そのための勉強とか調べ物をしてた。

 で、4年になる前に出た結論。

 「起業は無理だ。向いてない。会社員にでもなったほうが楽に生きれるな」

 ということで、就活を始めた。が、結果は芳しくない。

 さも当然。就職なんてしたくないし、したくないもののためにする活動ができるわけがない。

「働かずにのんびり生きたい」と思っていたのに、その可能性を自ら消す、自らを否定する愚行、どうすればそれが行えようか。

 そもそも面接で何も話せない。初対面の数人を前に自分のことなんて話したくないわな。いい感じのことを書いて話そうとしても、言葉に詰まる。何故か何も言えない。

 地獄の時間としかいいようがなかった。

 そんなこんなで悉く入社を拒否され、卒論も放置していたら間に合いそうになくなり、あっさりと留年した。

 で、大学5年目になり、普通に就活した。もちろん、多くの人は苦労せずにしているであろうこと、という意味で普通。私は心も体も擦り減らしながら、壊しながら、失いながらそれを行った。就活当時のブログは吐き気がするほど気持ち悪い。まあ実際、吐きながら吐いてたのだから仕方がない。

 まあ、そんなこんなで1つの会社と入社の契約を交わすことになった。

 そこからしか契約可の連絡が来なかったのだから仕方がない。

 私はその瞬間、未来の可能性を一本道へと閉ざしたのだった。何でも可能な未来から、暗く細い1本道へ。いや、未来の可能性なんてそもそもなかったのかもしれない。目の前は広い空のように見えるが、それに届くはずなく底へと落ちているだけ。天から地獄へと垂れ下がる一本の糸、あれにしがみつくように言い渡されただけ。上ることは叶わない。選ばれた者はすでに空にいるのだから。雲の上にすでに上っており、蜘蛛を上ることはない。地獄の火に焼き尽くされるまで、しがみつくだけのチキンレース。それの仲間入りだった。いや、いつからそうだったのか。

 そして会社での勤務が始まったのだが、地獄の如く苦しさだった。当然のように労働基準法違反、残業代不払い、無駄な居残り、新人教育とかいう建前の放置、なのに課題の発表強制、無理な仕事の割り振り、新人歓迎会での一発芸強制(当時の書きかけの記事と、いまだに恨みが残っているので、そのうち完成させてブログに上げる)、災害で消される有給(そもそも半年間なかった)、クッソ悪い空気、無給で社内掃除、飲み会参加強制、幹事も強制、そのための打ち合わせも無給で強制参加、等思い出せば恨みが止まらないようなクソクソクソ会社だった。

 さらにクソだったのは、会社の空気が悪すぎて風邪ひきまくったり、ストレス軽減のために飴をなめまくってたら、銀歯が6本増えたことだ。今まで1本しかなかったのに。

 貴重な休みは歯の痛みと歯医者通院でさらにストレスがたまる(しかも金も消えていく)という、最悪な日々であった。

 そうやって心と体と歯を擦り減らしながら、壊しながら、失いながら、地獄へ行き続けていた。

 何が嫌かって、会社も会社の人間も会社の仕事も嫌いで嫌いで仕方がないのに、自分がそこに行って仕事をしているという事実。自分も大嫌いになるのは当然である。

 そこまでして会社に行っても、得られるものは「クソみたいな会社でクソみたいな奴に囲まれながらクソみたいな仕事をしている」人生であることに絶望した。

 私は何のために生きているんだ?こんなに無理をして、待っているのはクソ人生なのか。「クソみたいな会社でクソみたいな奴に囲まれながらクソみたいな仕事をしている」人生なのか。そう思い、会社を辞めることを考え始めた。否、絶対に辞めてやる、と。

 そんなことを考えつつ死んだ顔で出社していたが、色々限界が来るようになって、労働は1日8時間が限界になった。いや、それでも限界をとうに越して、無理して、無理して、無理してやっていたのだが、ある日、こんなことがあった。

 上司にあたる人間「このツール、O日で使えるようになって」

 (数日たって)「いや、これ無理ですね。あとO日ください」

 「え?じゃあ、今日から毎日O時間以上残業して」

 その瞬間、全てが崩壊した。朝一に言われたと思うのだが、午前中の記憶はない。

 午後から、1年先に入社した人間と面談があったので、そこで会社明日から来ません、無理です。ということを言った。そしたら、休職したいのか? そしたらかくかくしかじかの手続きをして、その間の金はこうでーみたいな話をしてきた。そこで、こいつ休職についてやたら詳しくないか? と思ったら、その人間も入社1年目で休職してたということなので、この会社終わってんじゃねーか、と思い、そこで全ての思考を放棄し、休むことにした。2019年2月末の話だ。

 そして病院に行き、精神系の病だと診断され、診断書書いてもらって無事に休職。めでたしめでたし。

 そこからはひたすら死と戦う日々だった。死ぬことと自分はクソだということしか考えられないし、本も読めないし、新聞なんて読もうものなら吐き気がしてくる。それどころか、他人がそばにいるだけで吐き気がする。

 前からそうと言えばそうだったけど。大学の授業で、後ろの席に人間に座られると

気持ち悪くて吐き気がした。授業の前なら移動すればいいが、授業始まってから後ろに座るやつ、殺意が沸いた。

 会社でも近くに多数の人間がいるというのが耐え難かった。八方をふさがれるとか拷問に近い。前の席の人間とPCごしに目が合うのも最悪だった。

 そんな感じで人の気配を感じたくないので引きこもった。

 自己否定をし続ける苦しみの日々だったが、あることで少し楽になる。

 「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」を買ったことだ。

 あまりに面白かった。あまりに面白かったので、また記事書きたいと思う。

 とにかく面白いので、少しでも時間があるという人間は今すぐ買ってほしい。というか、時間をつくれ。

 そんな感じで、以前の人間としての感覚を徐々に取り戻し始めてはいる。思考が自由になってきた。ああ、人間の考えは自由なものだったんだ、と心も空も晴れてきている。くすんだ、荒んだ、濁った、潰れた、凹んだ、折られた、ドロドロになった、壊れた、擦り減った、心と体が浄化されていく。人間の感覚を取り戻していく。

 「ああ、人間って、こんな感じだったんだ」

 勿論、地獄の底に突き落とされる日もあるので、ジェットコースターみたいな日々だ。苦しみと苦しみと苦しみと苦しみと苦しみの間に楽しみが見えないこともない。まあ、7年くらいそんな感じである。

 今でも思い出せる。高校の帰りに琵琶湖のほとりのベンチに寝転がって空を見ていたら、急に琵琶湖の奥深くに引き釣り込まれるような感覚になったのを。これもまた書こうと思うけど、酷い話である。

 もう少しは生きれそうかなと思うようにはなったが、働ける気は一切ない。

 「もう少し生きてもいいかなと考えられるようになる」と「死ぬまで働き続ける」がニアリーイコールで語られるの、ありなくないだろうか。100万光年くらい距離があると思うのだが。

 ということで会社には辞めることを伝えた。休職期間が終わったら、そもそも退職させられるのだが。

 なのでもう少しで、会社を辞める。11か月しか働いてないけど。休職期間があるから、在職期間は1年を超すけど、働いたのは実際11か月である。

 まあ、こんなもんだろうと思う。会社と契約した日から、「短くて半日、長くて3年かな」と思ってたし。

 しかし、「働いたら負け」という言葉の重みを感じる。ネタでも何でもない。事実だ。至言だ。身に染みた。格言にしよう。

2019/07/18

 この記事は個人的な記録である。文章もわりと雑。いつもか。

 2019年7月18日、その日に起こったことをどう知ったのか、あまり覚えていない。おそらく情報源はTwitter。断片的な情報を辿るうちに、本気でヤバイ内容だと分かり、ネットはもう見ないようにした。本当に正解である。

 生物は死ぬものである。故に人や動物が死のうと悲しむのは筋違いである。生物としての基本さえも知らないのか。等と思っていたので、まさか知りもしない他人の死でここまでの精神的ショックを受けるとは思っていなかった。

 ただの他人の死に何かを思うことは少ない。事故死、殺人の被害による死等の場合、「自分で死に方を選ぶことが出来なかった」ことに対して同情をする程度だ。死くらいは自分で選びたいわな。

 なのに、「自分が好きなアニメを作った人たち、その会社で働いている人たち」の不本意な死には悲しくて仕方がなかった。全く知らなくても、その属性が付与されることで、どういう人かの想像がしやすくなり、そんな人たちが死ぬことになったことに、言葉では説明できない悲しみを覚えた。

 自然死、災害による死、相応の行いを行ったことによる死なら仕方ないが、その属性を持っていたことで、理不尽に他者の手で死ぬことになったというのは酷過ぎる。

 犯人への批判、分析が目的ではないので多くは言わないが、これは酷い。

 これまでの事実だけで数日間、悲しみと苦しみに襲われ動けなかったわけだ。風邪もひいてしまい、本当に最悪の気分と体調だった。

 そして、問題はインターネットである。危険予知により見なくなったのは正解であろう。罵詈雑言、地獄絵図になっていたことは見なくてもわかる。ただでさえ一触即発、炎上とか日常茶飯事のアニメ好きのインターネットに舞い降りた大炎上案件ですよ。何もかもが起こったんでしょうね。アニメ見ない人とかも関わってきて、変な対立とか晒上げとか、まあ、あらゆることがあったんでしょう。これに絡めて自己陶酔とか、なんかもあったんでしょう。

 悲しい事件に対してインターネットで何も言いたいことなんてなかったから、何も見なかったし、何も言わなかった。大正解だった。言えることなんてあるわけがない。

 だからこの記事も主張なんてないですよ。記録です。そもそも誰も見てないし。

 だから今も言いたいことなんて何もないんですよ。

 少し精神が落ち着いてきて、風邪も治りかけて、今日はゲームが楽しかった。こうして日常に少しづつ近づいていく、悲しみは薄れていく、それだけですよ。

経過報告2

  5月9日

 休職中、毎日更新するつもりでこのタイトルと形式にしたのだが、、、2か月書いてないぞ。

 この2か月、何していたのかと言えば、、、ひたすら寝て、苦しんで、考えて、ゲームして、ゆるキャン△見て、ネットして、スーパー銭湯行ったりしていた。

 4泊5日で身延、沼津、東京やらを旅行もした。その記事も作成中ではある(作成中の旅行記が山ほど溜まっているのだが、、、)。

 まあ、ようやくもう少しは生きれるかなという気分になってきた。何かをしようとは考えられないが。

 しかし、「もう少し生きてもいいかなと考えられるようになる」と「死ぬまで働き続ける」がニアリーイコールで語られるの、ありなくないだろうか。100万光年くらい距離があると思うのだが。

 ということで、しばらく何も出来ない生活が続きそうだ。

 GWに何人か人と会って、現状について話した。

 11か月しか会社で働けない、社会不適合のクソゴミ野郎などと罵られるかとビクビクしていたが、全く反応は違っていて驚いた。まあ、そんなこともあるさみたいな、というか特に気にしていない感じ。普通に話せて良かったのだが、それは「しばらくしたら新しい会社を見つけて働くだろう」と思われていたからである。次頑張れよみたいに言われたし、そうであろう。

 しかし、もう私には「自分が会社に毎日行って人と会って働くことの出来る人間である」と全く思えなくなった。就職する前から「一つの会社で働けるのは長くて3年、短くて半日」と思ってたので、まあその通りなのだが、もう半日も働ける気がしない。

 自分への自信やら肯定感をすっかり失ってしまった。まあ無理だろうという諦めが膜のように自分を覆っている。

 それと、会社を辞めたことで(辞めてないけど)達成感のようなものを感じている節もある。他の人が40年くらい働いて辞める所を、私は1年弱働いて達成した感がある。

 どうせ働いている40年なんて、「失われる40年」なのだし、さっさと終わりを迎えたと思えば悪くもない。

 なのでもう余生感がある。色々やりたいことはあるけど、やらなくてもいいし、それを言ったら何もしなくていいのだけれど。

 もういつ死んでもいいけど、今死ぬ理由もないし、そもそも怖いし、惰性のみで生きている。

 他者の手によって死ぬのは嫌だし、自殺が一番良い死に方だと思っている。自殺以外で死にたくないが、自殺の勇気はまだない故に死を恐れるという不思議な状態である。

 もう少し丁寧に書きたかったな、、、まあいいや。おやすみ。

 

経過報告1

 3月11日

 会社を休職することにした。正確には、2月末から会社に行っておらず、先週の金曜にようやく休職の手続きが終わった、ということだ。

 

この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて、それが具体的に何を指すのかも、ほとんど強迫的とも言えるようなその思いが、どこから湧いてくるのかも解らずに僕はただ働き続け、気付けば、日々弾力を失っていく心がひたすら辛かった。

そしてある朝、かつてあれ程までに真剣で切実だった思いが綺麗に失われていることに僕は気付き、もう限界だと知った時、会社を辞めた。  

  -秒速5センチメートル-

 

 会社を辞める時はこの台詞をTwitterで呟こうと思っていたのだが、概ねこんな感じである。

 必死に生きようとして、もがいてもがいて、何かを掴みたくて、焦って、つらくて、苦しんで。そんな日々を送り続ける度に心は濁り、顔も曇り、体は固くなり。

 ついに頭も心も体も動かなくなり、何かが音を立てて途切れた。「もう、何もしなくていいんだな」と。世界から手放された。

 濁流の中から静寂へ。そこには何もなかった。辿り着いたという感覚もなく。投げ出されたという感覚もなく、ただ、そこに元々いたようにしか思えない。

 あの日の悲しみも、苦しみも、輝きも、微笑みも、もうどこにもなかった。

 五里霧中から、凪の状態へ。台風を抜け出し、目に入ったと思ったら、永遠に出られなくなった。

 何者かになりたくて、何者にもなれず、何も得られなかった。

 いつでも探していた。どっかに...何かを。

「私」が私を見つめてました

 「ねほりんぱほりん コスプレイヤー」見た。他者からの称賛を求めるために、つながるために作品利用、とか穿った見方をしてたけど、本来キャラになりきること、だよね。

 しかし、他者からの承認など関係なく、自分が求める姿になる為にひたすら行うっていうのは凄い。

 自分という存在が不要で、他者になることで生きることが出来るって、どういう気分なんだろう。他者になりたい、キャラになりたいってあまり思ったことないなあ、、、。自分って何だろうということで悩み続けて、そんなもの答えは出るわけない、自分なんてなく、そうあるもの、はたまた選択するものである、くらいに捉えている。

 でも、こうじゃない、演じすぎて、作りすぎて、結局何なんだ。とも思う。

 この文章さえも、本当に私の考えていることなのかさえもよく分からない。

 まあ、結局「自分」を諦めていないから悩んだりよく分からなくなるわけで。

 自分を捨ててしまえばそう考えたり悩むことはなくなる。

 アザーズプレイってことか。もう少しうまい例え出ないかな、、、。

 他者からの承認は求めていないが、他者(プレイ対象)が必要なわけで、それに依存しているわけで。

 うーん、よく分からん。

 まあ、他者なんて分かるわけないんだけど。

 終わり。

賛同歌

  イケメンとか美人とか言うけれど、何かを美しいと思う価値観って全ての人に依って違うわけで。だから誰かの言う「美しい」とか「可愛い」とか「カッコいい」とかいうのはその人にとって、そうであるという、それ以上の意味は持たない。単に私はこう思うという自己主張に過ぎず、他者に同調を求めたりすることは見当違いだと思うのだけど。意味する対象は百人いれば百人違う。メディアとかツイッターとかでも、それを同意があること前提で言っている人がいる。おお、面白いな。謎だ。自分の価値観が他者と似通ったもの、賛同を得られるものだとして発信しているのか。そんなに自分の価値観と他者を信用できるものなのか?

 それとも他人を他人とそこまで思っていないのか。他人とも価値観はそこまで変わらないものだと思っているのか。どういうことなのだろう。私はそう思う。お前もそうだろう?という同調圧力か。それとも、私はこう思う。お前もそう思え、という強制か。

 他人なんて何を考えているか皆目見当もつかないし、信用もしていないのでよく分からない。

 そう思いつつもどこかに賛同する人がいないかあと思いながらキーボードを叩いている。